サルでも書ける雑記ブログ(仮)

私の好きなように自由に書いてくブログです。

知っているとか知らないとか。

物事を知らない人に対して「こんなことも知らないのか。常識だろ」と言って馬鹿にする人がいるけれど、知っているという事はそんなに偉い事なのだろうか?
私はそうは思わない。

まず、そもそも1人1人、生きてきた経緯が違う。
いつ生まれ、どこで育ち、どう暮らしてきたか。
年齢、性別、立場、全てが違う。学ぶ速度も違う。
1人として同じではないのだから、当然知っていることの種類や量も人それぞれ違う。

だから他人に対して「これは知っていて当たり前」なんて思っていること自体に誤りがある。
自分が常識と思っていることが、他人にも当てはまると思ってはいけない。
そもそも全員、感じている世界が違うのだから。

無知を馬鹿にする人は気付いているのだろうか?また自分も馬鹿にされる立場にあることを。
1人の人間が経験できること、知れることなんて所詮限界がある。
私達は1人分の人生しか体験してきていない。たったの1人分だ。
自分の常識なんて、その1人の中の小さい範囲の話でしかない。
それまで経験したことのない世界に放り込まれれば、どんな人でも途端に知らない側の人間になる。
だから知らない人を馬鹿にすること自体、意味がない。そもそも私達は知らないことだらけなのだから。

知識とは、より良く生きるためのアイテムであって、偉そうに振りかざすためにあるわけではない。
もし自分が知っていることを相手が知りたがっていたならば、優しく噛み砕いて教えてあげれば良いだけだ。相手を見下す必要がどこにあると言うのだろう。


中学生の頃だった。
数学の授業の時に先生が「これが解けた人は分からない人に解き方を教えてあげてみてください」と数学の問題を出してきた。
その先生は言っていた。人に教えることも、また勉強になる、と。

それで、たまたま私はその問題が解けた。数学も勉強も得意ではないのだが、私はごくたま〜に冴えている時があって、その日はたまたま、その冴えている日だったのだ。
クラスの中では、もう1人その問題を解けた子が居た。その子は本当に勉強ができるタイプで成績も優秀だった。

問題を解けたのは私とその子だけ。
ということで、私とその子は周りの席のクラスメート達にそれぞれ解き方を教えることになった。

私は勉強は得意でないけど、相手が何を困っているのか、何を理解できていないのかを見つけるのは割と得意だった。
だから、個人個人に対して、それぞれ引っかかっている部分を指摘して解説してあげたら、みんなスラスラと問題が解けた。
「教え方が分かりやすい」と好評で、褒められた事が純粋に嬉しかった私は「フヘヘ」と言いながらニヤニヤしていたと思う。
まあ元々、私よりも優秀な人達だったので単純に理解が早かったという部分もあったのだが。
それに教え方が上手いわけではなく、何に引っかかっていたのかが分かっていただけだ。

一方、もう1人の成績優秀な子は、教えることに悪戦苦闘している様子だった。
周りの子に対して「何でこんなことも分かんねーんだバカヤロー」と言っていたのを今でも覚えている(笑)
説明もぶっきらぼうで、その子の教え方は「何だか感情的に怒ってきたり馬鹿にしてくるから嫌だ」と大変不評だった。

その時に、私は色々と学んだ。
何かを教えようとする時に、高圧的で不遜な態度を取ると相手側の心に反発が起こる。
心に動揺が生じた結果、効率が悪くなることがある。
これが上司や部下、教師と生徒といった力関係がはっきりとした場合であると、教わる方は雑な扱いを受けようとも黙って従わざる得なかったりするのだが、
クラスメートという対等の立場であったりだとか、家族や友人といった親しい間柄にある場合などでは、横柄な態度で教えると「そんな態度取るんだったら、もういいよ!」と相手側が不快になってコミュニケーションが上手くいかなくなる。
これでは何かを教えようとしても、それ以前の問題になってしまう。

子供の時に、そのことに気付かせてくれた、その子には感謝している。
ちなみに悪い子ではなく、色々と面白いヤツだった(口は悪かったが)。

そいつとは、もうしばらく会っていないのだが、今、元気にしているだろうか。と、ふと思った。